[フランス航空宇宙博物館]

 

S.N.C.A.S.E. SE 535 MISTRAL c/n: 4

 

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第二次大戦中のドイツ軍に、フィーゼラーFi156という連絡機がある。

風に機首を向ければ空中で静止状態も可能だったといわれる

およそ戦闘にむいてない機体だが、私のだいすきな

飛行機のひとつである。

そのFi156の、しかも白塗りに赤十字マークの機体が

フランスに現存すると知って、ぜがひでも見ておきたくなった。

 

 

 

   HENRI MIGNET HM 8 AVIETTE

 

乳母車に羽根をくっつけたような飛行機だが、こんなのが飛んでいたんだろうか。

離着陸時に横転しそうだが、パラソル翼はかえってバランスがよさそうだ。

 

 

 

場所は、かのリンドバーグが大西洋横断のときに到着したという

由緒のあるル・ブールジュ空港というところだ。そこに

フランス航空宇宙博物館というちょっとした名前の博物館ができているのだ。

「翼よ、あれがパリの灯だ」を読んだことがあるが、たしかル・ブールジュは

「パリ郊外」にあったと記憶していた。郊外というからには

10キロも離れていないだろう。

私はさまざまな観光ガイドを読み漁ってみた。

 

 

 

     BERNARD 191 GRAND RAID "Oiseau Canari" c/n: 2908.2

 

サン・テグジュペリの話にでてきそう。V型エンジンがしびれるぜ。

正・副操縦席の天井が低すぎるので、頭があたる部分がコブ状にふくれているのがおかしかった。

真っ黄色の機体は、軍用機ではなさそうだ。

 

 

 

が、どのガイドブックにもそんなマニアックな博物館はのっていない。

それどころかル・ブールジュという名の空港すら片鱗もない。

ひょっとすると、空港としての機能はもうないのかもしれないが、

それにしてもひどい扱いだ。

私は懸命にル・ブールジュの地名をさがした。

あった。ついに見つけた。が、そこは

恐ろしいことにパリから南へ200キロは離れていた。

 

 

 

     AVRO 611 - CIERVA 8L

 

スペイン人シェルバのオートジャイロは、大戦間に流行したほとんど滑走路の

いらない便利者だ。これは初期段階のもので、回転翼まで帆布張りだ。

ちいさな固定翼はペンギンのように退化しているが、やがて完全になくなってしまう。

 

 

 

たしかに「ブールジュ」と書いてある。私は

どこが郊外なんだ、とひとり戦慄した。

しかも鉄道で片道2時間以上かかる。どんな田舎だ。

これは駄目かな、とおもったが、とりあえず添乗員にでも

聞いてみることにした。そう、こんな機会は

もうこないかもしれないのだ……。

 

 

 

    COLOMBAN MICHEL 10 CRI-CRI c/n: 01

 

これはなんだか鳥山明の世界だが、ほんとうに飛べるのだろうか。これで

飛ぶひとは、ライト兄弟よりも勇気はあるかもしれない。

みたところ2馬力くらいの小さなエンジンがふたつあるが、これは

翼についているのではなく、機首部分から両側斜め上に支柱でとりつけられている。

なんでこんなことをしなければならんのだろう。

 

 

 

私は、パリに着いてから、適当なときに添乗員に聞いてみた。

「ル・ブールジュにあるフランス航空宇宙博物館にいきたいんですが。」

べつに間違った質問のしかたではないだろう。でも添乗員は非常に困惑している。

彼女の経験のなかで、そんな博物館へ

いった客は皆無だったのだ。

「一日時間をください。代理店でしらべてきます。」

そういって小柄な添乗員は去った。

 

 

 

      CAUDRON C 635M SIMOUN c/n: 8519.428

 

コードロン C 635M シムーン。やっと名前の言える機体がきた。青地にしろい

矢印で、なんだかハインケルを思い出すが、これも旅客機だろうか。

この時代、旅客機の定員はせいぜい4・5人だったとおもう。

こわかっただろうなあ。

 

 

 

はたして、添乗員はしらべてきた。さすがだ。さすがはプロだ。

しかも、うれしいことにル・ブールジュはパリ南方200キロではなかった。

ブールジュという同じ地名があったのだ。

私のル・ブールジュは、リンドバーグの自伝のとおり

パリ市内からそうは離れていない。電車で20分くらいか。

いこう。いくべし。

私は勇躍地下鉄に乗ったのだった。

 

 

     DE HAVILLAND DH 89 DOMINIE c/n: 6706

 

デ・ハビランド社はイギリスの航空機メーカーだが、フランスのポテーにそっくりの

飛行機がある。こういう設計がはやっていたらしい。

この角度ではみえないが、胴体横の扉から、パラシュート降下しようとしている

マネキンがくっついている。あるいは練習機だろうか。

 

 

 

私の宿泊地は、地下鉄1番線のポルト・マイヨー[Porte Maillot]という駅の上、

つまりパリの西はずれにあった。空港は東北東の方向にある。

ところで、パリの地下鉄交通網は東京の地下鉄なみの複雑さを誇っている。

歴史からいえばパリのほうがよほど古かろうが、とにかく

目がまわりそうに複雑である。

ここでひとつ、博物館への鉄道による順路を

簡潔に説明しよう。

 

 

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      MORANE-SAULNIER MS 317 c/n: 6582.328

 

モラン・ソルニエのパラソル翼機。全体が銀塗装で、なかなかしぶい。

これはふつうに宙吊りだが、なかにはひっくりがえって

アクロバット状態の展示機まであった。

 

 

まず、私の場合はパリ最大の駅にして中心部、シャトレー[Chatelet]に

むかう。地下鉄1番線にのって10駅目くらいか。

 

 

ここで4番線に乗り換えて、北へむかう。

行き先はノード駅[Gare du Nord]だ。そこまでは、切符は

一枚きり。パリ市内の地下鉄は何回乗り換えても一枚8フラン。

(1フラン15円として120円くらい)安い安い。

 

 

ノード駅から、高速郊外地下鉄・通称RERに乗り換え。

ここからは行き先によって料金がかわる。博物館に一番近い

[Gare du Bourget-Drancy]までは11,5フラン。

RERにも、A・B・C・Dと路線がある。ブールジュまでは

RER・Bに乗ろう。

 

路線図をみると、RER・B線はシャトレー駅からも乗れる

ように見えるが、実は通りぬけるだけで停車しない。だから

わざわざノード駅まで行ってから乗り換えないといけない。

料金体系が違うからだが、私は最初これが理解できず混乱した。

 

 

[Gare du Bourget-Drancy]駅(発音がわからん)に降りたら、今度は

バスだ。切符は駅で売っていて、駅員に聞けば値段(忘れた)と、

どのバスに乗ればいいか教えてくれる。

バスは駅前にたくさん並んでいる。博物館行きの152番の路線バスに乗って、

「私は飛行機の博物館に行きたい。そこでおろしてくれ。」

と運転手に明確に聞く。聞いておかないと、

反対方向に行きかねない。

 

 

バスに乗ること約五分、

やがて、かのリンドバーグの立像が見えてきたら一安心だ。

停留所まではもうちょっとあるからあわてるな。

ロケットの先っぽも見えてくる。

バス停に降り立つと、道向かいに青いジェット機が

三機ほど串刺しになっているオブジェがある。そう、

ここがフランス航空宇宙博物館の入り口だ。

 

 

    FOUGA CM-170R MAGISTER c/n: 23

 

この博物館は、まずリンドバーグの立像・ロケット・このジェット機のアクロバットと

いう順にみえてくる。一発で飛行機とロケットの博物館とわかる、親切な

目印ではある。

 

 

この博物館には入場料が必要だ。いくらだったか

忘れたが、たいした値段ではない。では時間まで

ゆっくり飛行機の大群をたのしもう。

 

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博物館は六つの展示室と屋外展示に分かれている。

入り口は博物館全体の中央部にあるので、左右どちらに

進むかは自由だ。私は本能のおもむくまま、左に進むことにした。

するとメガネのフランス人が右を指差している。

なんのことだ。私は左にいくんだ、と

無視して左に進んだ。

 

 

 

   POTEZ 43.7 c/n: 3588.11

 

Fi156に似ているが、ポテーのものだった。同じ設計要求があると、たとえ

まったく設計者が見ず知らずでも、おなじようなものになることがよくある。

これはたぶん非軍事用でFi156よりは凡庸なつくりになっているが、

民間機とはそういうものだ。

展示状態がすごくいいのが印象的だった。

 

 

 

左の扉をくぐると、そこは宇宙船関係の機体、備品、コクピット等が

展示されている。時間があれば見るのだが、時間がないのだ。次にいく。

 

 

 

    DFS 108-34 SCHULGLEITER SG-38 c/n: 173

 

これはなにかというと、初心者が飛行訓練をするためのグライダーである。

先端にゴムの束をひっかけ、その反動でとばすのだが、子供のころ

スチロール製のそんなオモチャがあった。

100円くらいで、零戦やムスタング、はてはアベンジャーなんかも

あったよなあ。なつかしい。

ところで、初心者にこの操縦席はそうとうおっとろしい扱いだ。

降着装置は橇が一本だし、ゴムとはいえそうとうGがかかったろうに。

ま、これなら気絶しても自然に着陸できたかもしれん。

バランス最優先の設計だ。

 

 

 

次の扉は、第二次大戦以前の飛行機がならべてあるようだ。

若干興味があったのでふむふむと流していく。

昔は、げにおそろしい機体に乗っていたもんだ。

 

 

    PAYEN 49B KATY DELTA c/n: 01

 

「帰ってきたウルトラマン」にでてきそうだが、これには一大特徴がある。

主脚をよーく見てみよう。スパッツがついている。

これはジェット機ながら固定脚なのだ。

いったい何につかう飛行機なんだろうか。飛行特性をみる

実験機かなあ。

 

 

 

次は第二次大戦以降の、おもにジェット機の展示らしい。

ここはちょっとすごい。ここにある飛行機は、多分

ほとんど試作機ではあるまいか。それくらいバランスが

わるいというか、妙竹林というか、空想科学特撮シリーズというか、

わけのわからんものが多かった。少し前に

スケールアヴィエーションかモデルグラフィックスでちらりと

紹介されていた記憶がある。

見たこともない飛行機が見れたので、やや満足。

 

 

 

    MARTIN B-26G-25-MA MARAUDER c/n: 44-68219(N)

 

やはり機関銃がたくさん突き出していると、戦争だなあというか、

米軍だなあという感想をもつ。これには

仏軍のラウンデルが描いてあるが、大戦末期か、あるいは

戦後のものかもしれない。こいつを撃墜するのは

骨がおれそうだ。

 

 

 

そのとなりの棟は、当博物館の目玉であるコンコルドが

座っているのだが、そのまえにまず、B-26マローダー爆撃機のまがまがしい

姿が目にとびこんでくる。ううむ、つかみは抜群だ。

ここはコンコルドと、おもに第二次大戦中の有名機がならんでいる。

有名なのは説明せずともよいとして、おもしろいのは

コンコルドにのりこめる事だった。

 

 

 

    AEROSPATIALE-BAC CONCORDE c/n: 001

 

コンコルドはでっかいという印象があったが、全高・全幅・全長すべて

ジャンボジェットより小さい。実際にちいさく、そしてすごく細い。

車輪もおもったより小さく、すべてをぎりぎりまで軽量化してあるな、

という感じだった。

16機しか造られなかったということを考えあわせると、

なんだか侘しくなってくる。

 

 

 

といっても、機内は通りやすいように座席がすべて取り去ってある。

座席があると非常に通りづらい……つまり、

胴体がものすごく細いのだ。どれらい細いのかというと、

私がまっすぐ立つと、頭が天井にとどくくらい狭い。コンコルドの胴体は

ほぼ円筒なので、床の分があるとしても、内径は3メートルないだろう。

中に入って、両側に座席が一つずつ並ぶ事を想像してみたが、

とっても狭い。窮屈だ。通路を歩くと、両側の客の頭をごんごん

殴っていきそうなかんじだ。

操縦席も死ぬほどせまい。大型トラックのほうが

よっぽど広そうだ。私は乗ったことはないが、一式陸攻のほうが

広いんじゃないかという感想をもった。

やはり超音速でとぶことは並大抵ではないのだ。

 

そのせまいコンコルドの通路を使って、フランス人達が機内を走り抜ける

訓練をしている。なんのための訓練か知らないが、遊んでいるようにも見えた。

見学者がいるというのに、さっぱり気にしていない。

 

 

 

    HEINKEL 162A VOLKSJEAGER  Wr120223(D)

 

ハインケルHe162フォルクスイェーガー。有名な「国民戦闘機」だが、

横の仏人と比較してもらいたい。このちいさな、

しかも背負い式のエンジン配置は一見かっこよく見えるが、

じつは相当やっつけ仕事の設計だったようだ。

この機体を目にした少年兵は、はたして

奮い立っただろうか。それとも絶望したのだろうか。

 

 

 

屋外に出ると、またフランス人がエアバッグ式の

軟着陸装置でなにかの訓練をしている。アメリカの

火星探査機があんなのを使っていた記憶があったが、

時間がないので見ないようにしておく。

 

エプロンには現用ジェット機とロケットが並んでいるが、個人的に

これらの機体には興味がなかったので割愛した。時間もないことだし。

 

さて、本日のメイン・イベントであるFi156のある棟へ入ろう。

好きな食べ物は一番最後にとっておくものだ。そう考えつつ

入り口の右側に進もうとしると、例のメガネ・フランス人が行く手をさえぎっている。

「なんだこいつは」

と、私にしてはめずらしく気色ばんだ。なぜ温和な東洋人をおこらせるのだ。

メガネ野郎はしきりに指を四本立てつつ、モソモソと仏語をしゃべっている。

いやな予感がした。指の四は、もしかすると時刻の4ではないのか。

いま、3時45分。こいつは、ひょっとして

「こっちは4時でおしまい」

といっているのではないか………?

ああーっ、やはりそうか、そうなのか!こっちは4時から整理がはじまるのか!

そんならそうと早く言え異人!って、

さっき親切に忠告してくれてたのか。

 

 

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そんなわけで、私は仏人の好意を無にしたために、大好きな飛行機を見ることができなかった。

開館時間が5時までなので、当然時間があるとおもっていたのだ。

 

事ほど左様に、旅には予期せぬ事象がつきものだ。

だから、大事な用事には下調べが重要で、いくら

やってもやりすぎということはない。

前もって電話でもして、当日の展示状態を確認できればよいが

なにしろ言葉が通じなければ、いかんともしがたい。

滞在日数を多くとって、不測の事態にそなえておくべし。

 

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   S.N.C.A.S.E. SE 535 MISTRAL c/n: 4

 

この項のはじめにある双胴単発のジェット機がこいつだ。

これは戦闘機として使えたのだろうか。それとも

地上攻撃機だろうか。この手の

航空機が生き残っていないところをみると、

この飛行機も短命だったのではないか。

思考錯誤している姿というのは、ばかにもできる。

しかし興味をそそられるのもたしかなのだ。

 

 

 

さて、間抜けな教訓をたれるのはこのくらいにして、

実質的に博物館の概要にふれよう。

 

実は、もらってきたパンフレットに博物館のHPアドレスがのっていた。

http://www.mae.org/

 

上なんだけど、ここに直接行ったほうがよくわかるし正確だ。

ただし、当然仏語なので意味があんまりわからない。性能や諸元は

おおよそわかるけど。翻訳ソフトがあればなんとかなるかも。

 

収蔵機のリストも、全部写真つきでそろってるみたいだから、

大助かり。

それによると、どうも主目的だったFi156は、このたび展示してなかったらしい。

なんだ、結局見れなかったのか。

 

 

博物館そのものは、やはり料金をとっているだけあって

かなりきれいだった。内容も充実しているし、

区画ごとに主題がきちんと分けられているので、

飛行機マニアでなくとも退屈せずに見てまわれるはずだ。

なにより、存在すらしらなかったへんてこな機体がおおく、こどもは

とくに楽しめるとおもう。

 

写真撮影も自由。ただし、例によって三脚はやめておこう。

一棟に一人か二人おじさんが立っていて、

機体にふれたりすると注意しにくるので、素直に

したがっておこう。この人たちは案内もしてくれるので、

便所や出入り口も聞くとよい。

 

入り口ちかくにある土産物コーナーもなかなかのものだ。

100円くらいの水上単発機のおもちゃは、

親戚のこどもにぴったりのみやげだ。こんなの、ここ以外

どこにも売ってないんではないか。

航空機関係の書籍も豊富にそろっている。私は

飛行艇の写真集を295フランで購入。

 

残念ながら、ここには食堂はなかったようだ。

腹ごしらえをしていくか、弁当でももっていって

屋外のロケットを眺めながら、滑走路でたべるのも

また一興。

 

 

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フランス人は観光客に対して、おおむね親切だった。

世界中のひとびとがパリにあこがれて尋ねてくれ、

そして買い物をしてくれるんだから感謝しないほうがどうかしている。

 

私が、例のシャトレー[Chatelet]駅からRERに乗れなくて

困っていると(前述)、きれいな母子と、母の妹さんらしき

人達が親切に

「こっちへついてきなさい」

と、どの電車にのったらいいのか道案内してくれたし、こちらから

下手な英語で話しかけても、にこにこしてくれる。

内心、黄色人種を小ばかにしている人もいるのだろうが、

すくなくともそういう腹のなかをさとられないようにはしている。

 

博物館の帰途は、バス停がすこし離れたところにあった。

「あまり治安のよくないところなので」

と、添乗員には注意されていたが、そのとおりで、

あきらかにラリっている、治安のわるい黒人男性がむこうから

へらへら歩いてきた日にはどうしようかとおもった。

 

フランスは、過去に植民地をいっぱいもっていた関係からか、

現在、そういう国からの出稼ぎ労働者が非常におおい。

当然のごとくそれらの人々は低所得の人がおおいし、

不法に就労する人間もいる。

その手の人々は、よりあつまって暮らすことが

世界中でふつうの現象なんだけど、そこが

この博物館の周辺らしいのだ。

 

人種によって人間の能力がちがったりすることは

ありえないが、風土や慣習によって、異国にくると

おどろくことがおおい。

 

私がいった時期、日没は午後十時だった。

九時半でも明るいのだ。で、九時ごろから

晩ごはんを食べ始める。強烈に大量の脂っこいものが

でてくるのだ。仏人はそれを二・三時間かけてしゃべりながら食う。

フランス料理はうまいのかもしれんが、私は

年に一回でいいとおもった。

 

朝はコーヒーと小さいパンくらいしか食べないそうだが、

昼は昼で二時間ぐらいかけてしゃべりつつ、食べきれないほど

注文しておいて食べ残す。

まったくへんなやつらだ。

 

パリにいったら是非やってほしいことは、タクシーに

乗ることだ。パリ(ローマも)におけるタクシー運転手の

運転技術は世界一流だとおもう。

ロータリー式の交差点というのは欧州に特有の

交通システムらしいが、車線や停止線があるのかないのか、

あっても書く気がないのか、どうでもいいのか、

とにかく何十台もひしめいてはしっている所を

どんどんななめに進んでいくのだ。それも

確実に40キロ以上の速度で、石畳をボコボコいわせながら

突っ切っていく。後ろに座った日本人が驚嘆していると、

「おれはカミカゼだ!」

とかいって調子にのりだすので、痛快この上ない。

チップもはずもうというものだ。

 

旅をしていたら、予測できないできごとは二回や三回

あったほうが自然というもんだ。そこで

いちいちガックリきていたら時間の無駄だ。

そんなもんさと笑っているほうが

旅は断然たのしくなるのだ。

 

それにしてもFi156はおしかったなあ。

 

 

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