廃棄車両                                                       

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       ■237.廃棄車両/910420/三原町掃守

 

 野ざらしにされた機械の錆びて、朽ちていく様子に心惹かれるのは、なにも妙な趣味ではないとおもう。
西洋では自分の庭をわざと「主のいない城風」に荒れ果てた様子で再現する様式があるし、日本の数奇屋造りなどという
建築方法や、侘び寂びなどという嗜好も似たようなものだ。アンティークショップなどの店では古くてボロボロの品物でもかえって高値が
つくことがあるし、なにもおろしたての新品ばかりが価値あるものではない。

 農民車というのははかない存在で、多くの農民はあまりこの車に敬意をはらおうとしない。大事に泥や肥やしををとって
屋根の下に停めておくような人はすくない。車検も車庫証明も必要ないとあって、それにそなえた整備をするのもおっくうらしく、だいたい
動かなくなったら田畑の脇に、あるいは人目につかない藪のなかに打ち捨てられている。

 そういった様子はあまりに不憫で、あまりこの「淡路島農民車考」では紹介してこなかったが、実は近野個人としては
大好きな被写体であった。その赤錆に覆われたスクラップに「宇宙戦艦ヤマト」の1シーンをダブらせることもある。
 夕日を浴びてそそりたつヤマト……。
あのシーンはいつ思い返してもカッコいいものだ。いやいや、それもあるが農民車という車のメカニズムを知る上で、エンジンやタイヤがはずれた状態で
サスペンションとかハンドルの基部を観察するのが、なにより興味深い。それら足回りの細部は普通、地べたに寝転んで車体の下に
もぐりこまないと見れないものだ。農民車の写真を撮っているだけでも変人なのに、さらに寝転んでは警察に通報されかねない。
廃棄された農民車は、視覚的な古いものの美しさとメカニズムに対する知的欲求を満たしてくれる、格好の存在なのだ。

 そういうわけで、新しく「廃棄車両」という項を設けることとなった。この写真のように、大量にかたまっている状態のものもあるし、
エンジンがなくなっている物も多いので、ページごとに形式名がつけられないことをご容赦願いたい。

 すでに発表した写真で廃車とみられるものに形式名がついた個体は、便宜上そのままの形式名とする。

 

 

 ■238.
 
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