廃棄車両                                                       

…………………bS

 

       ■320./911013/五色町鮎原上村

 

 またしても廃棄車両である。
きっちりした生きた農民車の、多方向からの写真を期待していた方には誠に申し訳ない。
なぜだか、久々にHPを更新しようとする私の手に取ったミニアルバムが、廃棄車両のものだったのだ。
無意識に目にとまるのがまず廃棄車両とは、私の偏った趣味も極北に近づきつつあるのかもしれない。


 正面にある台形のボンネットと、その中にのぞくシロッコファンが、このガラクタに埋まった農民車を
数少ないcaf型であると教えてくれる。数少ない車種だけに、こういう情けない状態で放置している
持ち主の神経を疑ってしまうところだが、それは私のような物好きの他人が思うところ。自分の所有物を
自分の敷地でどう扱おうが持ち主の勝手である。
 だがそれにしても、無残な情景だ。
 横にある板張りの建物はおそらく納屋を兼ねた牛小屋で、その庇から新たに屋根を設けて物置を造っている。
これはおそらく、この農民車を購入したときに、車庫として急遽、増設したのだと想像できる。
だとすると、当初は雨風からまもるだけの価値がこの農民車にはあったとみていい。
それなりに期待され、働いていたわけだ。
しかし他の農機具と同じように、農民車というものは季節によって使用状況に多寡がある。
使われない時期には、物置のように荷台や周囲にものが置かれるようになり、いざ動かすときには
まず片付けないと始動もままならない。そのうち故障がしだいに多くなり、さらに空冷エンジンの減少からくる部品不足が目立つようになると、
もう修理すること自体がままならなくなってくる。そうするといよいよ動く機会がなくなり、自動的に周りに置かれるものも
ゴミ同様の役に立たない品物が多くなり、それがために農民車を本格修理しようとする気力も失せて、そこへもってきて
急ごしらえのトタン屋根も錆びたりはがれたりで、いよいよもって凄惨な状態になる。

 一般的に、田舎の農家は物持ちがよく、道具を大切に使い続けると思われている。
しかし私の見たところ、都会でも田舎でも人々は同じようなもので、ただ個人個人の性格によってモノは粗末に扱われたり、
家屋敷は小汚くなっていったりする。農民車や他の農機具も、物置や牛小屋も、散らかっているところもあれば
清潔で質素なところもある。たいして大事に使いもしないのにモノを買うだけ買って片付けない、私の子供達のような
大人たちは、どこにでもいるものだ。

 散々なことを書いたけど、さすがに撮影時から十五年以上も経っているので、もうこの農民車もあとかたなく
整理されていることと思う。それとも、まだ不要物に埋もれながら土に還ろうとしているだろうか…。

 

 

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