■廃棄車両
あいかわらず、人様のご好意にすがって生きている近野なのである。
今回のご好意は当HPではすっかりおなじみのsawaganiさん。本業の園芸学校の授業中に大発見をした、というメールが近野へ届いたのは、
淡路島でもすっかり晩秋にはいった十一月の末であった。
ご覧のとおり、三輪車である。三輪の農民車は動植物でいえばもはや絶滅寸前の車種で、私が写真におさめたものはわずか三台、
しかもそのうち所在のはっきりしていた一台は、近年姿が見えなくなった。推定して現役で動いているのは一台きりという現状である(2009時点)。
そしてこの写真の三輪農民車は、その北限をあらたに書き加える発見となった。いままで最も北にあったのは五色町堺のもので、今回は
その北にある一宮町をとびこして、北淡町の山奥に放置されていたものだ。以下、sawaganiさんからのメールおよびブログ、近野とのやりとりを
再録しながら紹介させていただきたい。
まずはsawaganiさんから、近野駅掲示板への書き込み。この時点で画像はまだありません。▼
さて,私も今日月曜は休日出勤で,勤務先の近隣で調査をおこなっておりました.その途上,三輪の農民車を発見いたしました.
古くてよくわからんのですが,その造作から,トップカーではなく農民車であろうと判断しております.
私は3輪ははじめてみました.詳細は追ってメールにて連絡いたします.
ゆとりがあれば,拙ブログにて掲載するかもしれません.
それに対する近野の書き込み。▼
ぬぬぬ、三輪農民車を見つけられましたか!
そちらの勤務先のご近所ということは、おそらく私も未確認の車両とおもわれます。
先にHPでお見せしたバーハンドルの三輪(※注1)がもっとも北にあったものなので、
それ以上北にあるということは、北限分布図が塗り替えられる大発見ですね(笑)。
注1)これは近野の勘違いで、派生型のNo.3で紹介した三輪農民車の撮影場所を一宮町と錯覚していたものです。
No.3は緑町でのもの。じぇんじぇん違います。
同日sawaganiさんから送られてきた、写真(このページの三葉)つきのメールです。▼
さて,さきほど近野駅掲示板にもかきこみましたが,
本日,三輪の農民車をはじめて見ました.
場所は,旧北淡町の舟木というところ.
近野さんが見た三輪農民車は3台あるとのことですが,そのうちの1台でしょうか.
この農民車,ハンドルの直後にエンジンがあり,運転者はそれをかかえる格好となります.
一見,びっくりするような配置ですが,バイク一般がそうであるとも言えます.
さすがに排ガスは床下まで逃がしてあります.
持ち主のおばさんによれば
「30年くらい前ので,もうめげとる」
とのことでしたが,30年どころじゃないような気がしますが,どうなんでしょうね.
とりいそぎ,興奮したまま,速報ということで.
次は同日のsawaganiさんのブログ、「日々粗忽」の書き込みより引用させていただきました。▼
三輪の農民車を発見.
クルマを運転中,視界の端っこに怪しげな農民車がひっかかり,もしやと思う.
後続車の居ないことを確かめてバックして再確認.やはりそうだった.三輪の農民車はかなり珍しいらしい.
僕ははじめてみた.ハンドルの直下に農機のエンジン.けっこう無理矢理なパッケージングがおもしろい.
放置されてずいぶん経つようなたたずまい.いったいいつ頃のものだろう.
後輪にはタイヤチェーン.ぬかるむ田んぼに入っていたか.
で、お次はこのブログへ近野の書き込みです。▼
丁寧なメールもいただき、ありがとうございます。ちょっと事情があってお返事が遅れ、失礼いたしました。
メールのお返事も兼ねて書き込みさせていただきます。
さて件の三輪農民車ですが、私も未確認のもので、SAWAGANIさん大発見というところですね!メールでは
「淡路島北限の三輪とはこれか?」とのお話でしたが、私の北限はリンクしてくださったバーハンドル車(※注2)
でして、SAWAGANIさん発見のものはより北にあるもので、その意味でも貴重であります。このへんは四輪も
少ないんですよね。
車台はおそらく、ミゼットMP5(最も有名なミゼット)あたりだと思われます。前輪のコイルサスペンション
がその特徴ですが、MP5は丸ハンドルなんですよね…。お気づきかもしれませんが、このバーハンドルは
手作りの改造品です。なんで丸ハンをわざわざバーハンにしたのかというと、おそらく全長を短くするため
に運転席を切って縮めたので、長いステアリングラック(※注3)を付ける場所がなくなったのでしょう。エンジン位置
はMP5もこの位置なんですが、本来もっと空間的余裕があります。ちなみにMP5が販売されていたのは
1960年くらい、中古車を改造したとして四十年以上前の製作と思われます。
そんなこんなを「淡路島農民車考」でも紹介させていただきたいのですが、よろしければ
ご了承お願い致します。
それにしても、もともと小さいミゼットをさらに小さくしなければならないような作業環境、山間地農業は
大変ですねえ…。
注2)これは注1と同様の間違いをまだやってます(恥)。
注3)えー、ハンドルポストとステアリングラックのなんたるかがよくわかってません。知ったかぶりはやめましょう。
■341.
そしてその近野の書き込みに対するsawaganiさんのお返事がこちらです。▼
たしかに前輪周りからステアリングヘッドにかけてはなんらかのオート三輪の流用と思ってましたが,
なるほど,ミゼットですか.
ミゼットのレストアをした方のホームページ(http://www.takkun.net/MP5-009.htm)にフレームの写真がありました.
たしかに似ているようです.が,ほかのオート三輪のフレームやフォークも似たり寄ったりかも?(※注4)
近野さんの紹介されていた三輪農民車(http://www.page.sannet.ne.jp/tkn203/hasei3.htm)は,
鉄板の穴なんかも,いかにもミゼットって感じですね.
上のミゼットレストアの方のページをみると,本来のミゼットのエンジンがすごく小さいのにびっくりします.
ほぼ床下に埋まってます(http://www.takkun.net/MP5-012.htm).
この農民車は,そのかわりにでっかい農機エンジンを床上にのせてますから,これのおかげで,
まあ大変な乗車姿勢だったと思われます.シートの座面長の異様な短さも鑑賞ポイントですね.
バーハンドル化はたしかにスペースの問題が理由にありそうです.この農機のエンジンとハンドルポストや
ステアリングホイールが干渉するんでしょうね.
あと,1名乗車とわりきれば運転手がコクピット中央に座れるのでハンドル位置を中心からずらす必要がなくなり
バーハンドルで十分に用が足りる,というのもあるかもしれません.
そんなこんなを「淡路島農民車考」で紹介していただけるのはうれしいかぎりです.ご了承もなにも,いつもどおり大歓迎です.
山間地の農業について,むかしの航空写真をみるとたしかに田んぼはせまく,道もせまく,傾斜は急だし未舗装だしで,
そうとう大変だったんだろうなあと思います.
そういえば,学校の近所のおじさんに聞き取り調査したときは,運搬に牛(馬だったかな)をつかっていたが,
荷車を牽かせるのではなく,牛(馬?)の背に直接荷物を積んだようなことをおっしゃっていました.
道が悪くて荷車を使えなかったからだそうです.
今回,三輪,農民車で検索してみたら,宮崎式農民車(※注5)というものの存在を知りました.長野県のものらしいですが,
これまたかっこいい.(http://blog.goo.ne.jp/seven_4ag/e/11b05a47c5b74762fc5e62e1eaa71a30)
注4)う〜む、そういわれると自信がなくなりますが…どうもタイヤの側面についてる放射状の溝がミゼットくさいんですよね。
まあそれもミゼットである証明にはなりませんが、このへんは専門家の検証をまちましょう。
……ひょっとするとこの雑なハンドルも純正なのかっ?
注5)最近の旧車雑誌「オールドタイマー」によると、「長野県には3〜4社の地場農民車ブランドがある」とあります。上記ブログの宮崎式とは、
そのうちのひとつなのでありましょう。してみると、かつて日本では淡路島のみならずそこかしこで市販車を改造した農作業車が
存在した、という可能性があります。容易に想像できるところですが、ところでそれらは一様に「農民車」と呼ばれていたのでしょうか?
前出の「オールドタイマー」誌では、どうもこの手作りの作業車をどう呼ぶべきか統一名称がなくて、便宜的に「農民車」と呼称しているようです。
実際は各地で方言のように呼び名が違っていたんではないでしょうか(これも近野の想像です)。
■342.
以上でsawaganiさんとのやりとりは終わりです。
いや、いつもながら自分の知識のなさを痛感いたしますが、そんなことを気にしていては農民車の採集は続けられませんので、
そこらへんは「心に棚を作って」置いておとくことにします(笑)。
しっかしこの空冷エンジン(色合いからしてメイキエンジンですかね)は空気取り入れ口が真後ろをむいてて、しかも五センチと離れずに
椅子があるようですが、これで冷却できるんですかね。昔の人は無茶をやってたというか、こんなことをしてまでも自動車を欲したんでしょうね。
sawaganiさん、ありがとうございます。これからも授業中になんか見つけたら、よろしくお願いします。
▼sawaganiさんの博識に目が回りそうなブログはこちら▼
「日々粗忽]
http://d.hatena.ne.jp/sawagani550/