■307.cwf4×2/040529/三原町下八幡

 

 

 

 

 

■cwf4×

…………………bU
[目次へ△]
[前頁へ]
[次頁へ▽]
所帯をもつという個人的な理由から、農民車の写真を撮る機会が激減した。
かつては毎週はおろか平日の帰宅時でも、明るければ
見かけた農民車にレンズをむけていたものだ。
写真屋にフィルムを出すときは二本まとめてが常だったし、
三十六枚撮りもよく使った。
一人身で、しかも実家で親と同居というのはものすごく時間のあまる状況だったのだ。

しかしいまはどうだ。
一年間、二十四枚撮りのフィルムを入れっぱなし、などという
悲しい事態があったほどだ。
家庭をないがしろにする甲斐性もない私にとって、
「写真を撮りにいく」などという
身勝手は私の道徳心が許さない。
いやなんといっても嫁がそれを許してくれない。
「許されざる男」っていう西部劇があったなあ。
なにを言ってるんだろう。
■308.
ようするにすごく久しぶりに撮った写真だということを
言いたかったわけだが、
久しぶりに撮影機会が得られたときに珍しい車体に出会うと、
幸運を神仏に感謝してしまう。
これはそのような幸せな写真だ。
一見、普通のcwf車と思われるかもしれないが、
目を見張るべきはその車間距離、および車幅である。
この農民車は、その荷台が目立って広い。
307.の真横写真からも妙に長いのがわかるが、
308.で見ると、普通は運転席の椅子が車体の端っこにあるのに、
これは椅子がもういっこ取り付けられるくらいの空間が横にある。
つまり全体的に車台からしてでかいのだ。
■309.
この大きさが何を意味するか、どのような理由でそう造られたかを
推理するのは簡単である。
車台を大きくしたのは荷台を広くとるため、荷台を広くしたのは
もちろん荷物を多く積むために他ならない。
写真を撮った三原町というところは、
何度もふれたように玉葱を主とする農業地帯である。
広大で肥沃な土壌をもつ三原平野では、
他にレタスや白菜、キャベツ等を米の裏作として
豊富に生産しているが、それらを収穫し、
コンテナに入れ、あるいは出荷用のダンボール箱に
詰めて運ぶ際には、ひとつでも多く積んで
一度に運びたいものだ。
これが稲藁や玉葱を束ねたものだと、ただ高く積み上げて
量を稼ぐ方法がとられたりするが、
コンテナや箱を荷台に並べ重ねるときは、一列でも
違うと積み上げた数が大きく違う。
この農民車はそのアオリの低さからして、コンテナと
箱物を積むために特化したものだと思う。
稲藁ならアオリや鳥居さんを高くするはずだからだ。
■310.
見よ、この低床荷台の偉大さ。
まさに箱物を積むための農民車である。
そして真後ろにあるエンジンフォークリフトの物語るものは、
まず地面にパレットを据えて箱物を積み上げ、
地面で荷造りしてからリフトによって荷台へ積むためだろう。
不安定な高い荷台の上で一個ずつ箱を積み上げるのは
危険で労力もいる。
地面でやればよほど安全で、しかも楽に早く確実に
荷崩れしないように積めるのだ。
そしてフォークリフトによって労せず積み込み、
目的地…おそらく農協の集荷場にいけば
やはりフォークリフトがあり、労せず早く
荷卸ができる。
これほどすばらしいことはないではないか。
■310.
この平坦で広々としたステンレス荷台は、農民車をもつ
全農家の羨望の的であろう。
だが妙なことがある。すでに述べたように、この型の農民車は
非常に珍しいのだ。広い荷台を持つ農民車は少ないのだ。
便利で優れたものが少ないのはなぜだろう。
その裏には、なにかしら致命的な欠点が
あるものだが、実のところ、私はこの車体の大きさが
わざわいしていると思う。
大きな車は狭い道を通れないのだ。
広大な三原平野の農道はほとんどが十二分に整備され、
アスファルト舗装はとても農業地帯には見えないくらいだが、
それでもここまで大きな農民車は少ない。
なぜなら、目的地までに一箇所でも狭い道があると、
もう用を成さないのだ。
昔ながらの狭い道の多い他地域ならばなおさらだ。
そしてなにより、パレット積みする場合は荷台から
パレットが少々はみ出てもちゃんと走れてしまう。
どうしても邪魔になるタイヤハウスさえなくせば、
普通の農民車の大きさでも標準的なパレットを十分積めるので、
なにもここまで大きな車体にする必要はない。
この欠点も消して、かつ大量の荷物を一度に運ぼうとすれば、
一気に八枚くらいパレットの積める四トン車なみの
大きな車がいるだろう。
そうなると、三原平野の広い農道でも対応できなくなる。
ああ、なんということだ。
このすばらしい農民車は的外れで中途半端な代物だったのか。


いろいろ言ったけど、この農民車は
意欲的な車体であることに間違いはない。
目標があってそれに努力し、
工夫した結果が間違っていても、それは
それで正しい行為なのだ。
失敗を恐れては先へは進めないのだ。
個性や文化はそこから生まれるものなのだ。