■271.cwf4×4/9507??/五色町都志万歳
■cwf4×4
……………………………………………………………………………………………No.10
かすかな前触れが、たしかにあった。
「お、地震か」
と目を覚ます。まだおきる時間じゃないなあ…と考えていると、凄まじい揺れが始まった。
ベッドの棚にあったラジオと目覚まし時計、それに掛けてあった油絵が、頭にかぶっていた
布団へ同時に落ちてきた。そこらで倒れたり落ちたりする音が、それどころか家全体がガクガクギシギシ
悲鳴をあげる音がする。このままでは家が倒れる。そうなったら二階部分が私の上に落ちてくる。
かぶった布団とベッドが緩衝材になって、助かることができるだろうか。いや、そんなことで
助かるわけがない。もうだめかもしれない。ゴロゴロと地鳴りも聞こえてくる。
逃げようにも、起き上がることもできない。ベッドの中で縮こまっているしかない。
このまま押しつぶされて死ぬのか。まだ揺れはおさまらないのか。
揺れは、おさまった。
冬の朝はまだ暗くて、部屋の中が見えない。窓の外も暗い。どうやら家は潰れずにすんだようだが、
時間がたつとどうなるかわからない。電気はつかない。停電だろうか。
家族が、互いを呼んでいる声がしはじめた。よかった、みんな無事だ。
いや、父親の返事がないが、昨夜から泥酔していたので、いまだにいびきをかいている。
いちおうみんな怪我もないようだが、懐中電灯に照らされた室内は、それこそ惨状だった。
ステレオのラックが傾いて中身が飛び出し、後ろの配線で止まっている。
三十インチのブラウン管テレビが床に転がり落ちている。
ありとあらゆる落下するものが、すべて床に散乱していた。
冷蔵庫の戸が開いている。
火の元は大丈夫か、ガスのにおいはしないか、右往左往していると夜が白んできた。
二階で兄夫婦の声がした。上がってみると窓の外を指差している。
見ると、外は家の中どころではない有様だった。
そこから見える三つの家の屋根瓦はすべてずり落ち、うち二軒の屋根には大穴があいていた。
私は「関東大震災」という大昔の、有名な地震を思い起こした。いや、あの地震は
もっとひどかったに違いないが、私の知識にあるもっとも近い震災は、それだった。
関西に住む人間には、その程度の備えと認識しかないのだった。
だれか怪我人でも出たんじゃないか、と後になればバカバカしいような小さな心配をした。
というのも、大穴のあいた家から顔見知りのおっちゃんが笑いながら出てきたからだ。
おっちゃんはあまりの被害に、悲しむ前に笑っていたのだ。窓から声をかけると、
おっちゃんの家も怪我人はでていない。次々に、近所の人が顔を出して声をかけあう。どこも怪我人がいない。
ずれた屋根瓦と屋根土は、みんな天井裏で持ちこたえているようだ。
私の家はまだ新しかったせいか、角の瓦が若干落ちている程度だった。
それから私は、仕事場が心配になってきた。
当時、私は締め切りのある仕事をしていたが、その締め切りが今日というのがあって、
もし仕事場が使えなくなると大変なことだったからだ。
瓦が落ちた路地を走って駐車場に向かい、車で仕事場についた。
被害を受けた近所を尻目に不遜な話だが、ほんとに当初はあれほどの大被害だとは思わなかったし、
緊急を要する怪我人も、周囲にはいなかったのだ。
仕事場は、おかしいくらいなんともなかった。
会社の人間も、
「えらい揺れたなあ」
と、みんな笑っていた。ここらへんはそう揺れもひどくなかったようだ。
私はとりあえず締め切りのある仕事を片付け、昼休みに休憩しようとテレビのあるところにいって驚いた。
画面には信じ難い光景がヘリから中継されていた。
神戸の街に何本も黒煙が立ち昇っていて、人が何人か死んだとアナウンサーがしゃべっている。
阪神高速が倒れた、と何度も繰り返している。
映像はミサイル攻撃でもあったのか、というものだったし、阪神高速の件は
なにを言ってるのか理解できなかった。それより人が死んだというのが
大変なことだと思った。まだ五人ほどの確認だったが、それでも大変なことだと思った。
繰り返すが、関西において地震で人が死ぬ、なんていう事態は未経験のことだったのだ。
死者数は無慈悲に追加され、最終的にはその千倍以上にも上った。建物の被害も甚大だった。
時間が経つにつれ、情報は正確さを増し、いかに大きな地震があったのかを伝え始めた。
私は翌日以降、被害をうけた周囲のことより仕事のことが心配になった自分を責めながら、
隣家のずれた屋根瓦を兄と落とし、ブルーシートを張り、赤十字に義援金を送った。
写真は、それからよほど経ってからようやく屋根の修理をしだした、小さな家の様子だ。
そこには独居老人が住んでいたらしい。幸い老人は無事だったようだが、家は半年間手付かずだったのだ。
狭い路地には一トン車も入れなくて、農民車が瓦の搬送に来ていた。
ナンバーは緑町。夏場なので、ここまで自走してきたんだろうか。
四輪駆動の分厚いタイヤと、鉄の塊のような頑丈な車体には頼もしさがあったが、
なんだか農民車の写真を撮ることに、罪悪感と虚しさを感じたものだ。
あれから十年しか経っていないが、何度も大きな災害や戦争があった。
幾度もひどいニュースを聞いた。
これからの世の中、すこしでも平穏無事であることを祈らずにいられない。
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