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■329.fwf4×2/941015/西淡町志知奥
農民車の市場というものがどの程度の規模であるのか、正直いってサッパリわからない。
この話はいつかどこかで書いたかもしれないが、かつて県立三原高校の放送部はNHKの全国大会でも
上位に食い込むほどの実力と活動力を持っていた(ごめんなさい、今の状況を知りません)。ラジオ放送部門や、
ビデオ部門で優れた作品を作り、NHKの地上波などでも放送されたのを覚えている。学校行事の様子から
地域の歴史・文化まで題材にする、活発なクラブだった。
その放送部が作ったものに、ありがたいことに農民車を特集したビデオがある。
十分足らずの短いものだが、動く農民車を見ることができる貴重なものだ。ぜひネットで無料配信して
もらいたいものである。
話がなかなか本筋にもどらないが、そのなかで上原板金の職人さんがインタビューを受けていたのを
思い起こしてみると、たしか二人の職人が一ヶ月で一台くらいのペースで農民車をこしらえているという
ことだった。それが十年くらい前のビデオ作品だ。
農民車も作り方や工場の設備規模で生産期間が変わる。もちろん受注生産がほとんどなので
量には増減がある。最盛期には十社くらいの工場があったと仮定して、一社あたり十台、年間百台ぐらいは
造られていたと考える。その状態が昭和三十年代なかばから昭和の終わりまで、三十年続いた
とすると三千台ほどは農民車が誕生したわけだ。
きわめていい加減な計算であるが、これほどの数があれば、当然のことながら用済みの農民車も増えてくる。
いかに農民車が農家の強力な助っ人だったとはいえ、新しく便利な車はどんどん出てくるのだ。
不運な農民車は草むらや山道が行き詰ったところで土に還っていくが、数少ない幸運な車体は
再生されて中古車となり再出発する。
写真のように農民車がおおっぴらに展示販売されるのは新車でもあまり見ないことだが、
淡路島にはまだ、農民車のようなダサいものでも使えるものは大事にする気風とセコい精神が残っている。
レンタル建機屋でレンタルされているのを見たこともある。
すばらしいことだ。
「中古車 4台あります」
という看板をかけられて道端にならんでいるのは、まさに幸運な農民車である。
次の主人を得るべく、全体をきれいに洗ってもらって青ペンキの車体になり、タイヤも新品になった。
パッと見、新車である。この状態でいくらの値がつくのか、交渉にもよるだろう。
こことは別の場所で見たfaf4×4は値札がついていて、十五万円だった。
ということは手前のダンプなしなら十万円、奥のタンプ付きなら十三万ってとこかなあ。私が
金持ちの農家なら引き取るが、残念ながら私は農家でも金持ちでもないのである。
さて、幸運な農民車はさらに幸運を掴むことができたか。
そこまでは見届けていない。
ここはかつての通称「うずしおライン」沿いにある、豊田機械という中古機械販売のお店で、
最近移転し、国道側で同様の営業をしているようだ。
店の発展を祈らずにはいられない。
■330.