墓地の手前で完全に脱輪したまま遺棄されてしまった、あわれな農民車に出くわした。
農民車という車は、その生まれた理由のはっきりした機械だ。まだ市販の運搬車両が高価にもかかわらず性能がひくく、農産物……
とくに玉葱のような重量のある収穫物を運ぶのに十分な役割を果たせなかった時代、安価で使い勝手の良い車が生産者の要望で、
地元の鉄工所で造られたのである。そのありがたさは淡路島の農家全般にゆきわたり、大量の農民車がおおくの工場で手造りされた。
そして、数が増えるごとに、また市販車両が性能を増すごとに希少価値はうすれていく。工業製品のほとんどが辿る宿命である。

 写真の廃棄車両は、まだ使えたであろうエンジンと、たぶん左のフェンダーにあっただろうポンプが持ち去られていた。
これもまた、だいたいの廃棄車両がそうなっている。ふつうの市販車ならば、あるいはほかのこまごました部品を取り外すこともできるだろうが、
農民車はその部品数がそもそも少なく、中古の隆用品だし旧式でもあるし摩滅したり錆びたりで、使えそうなものはたいしてないのだ。






                      
                                                                           ■378.






 なにがあったのだろう、小さな運転席の骨組みは、上向きに曲がっている。シートはたぶん遺棄前に紫外線で裂けてしまい、化学肥料の袋などを
代用してあったとみる。風でどこかへ飛び去ったのか。






          
                                                                                     ■379.






 いつみても単純な構造の車台。私のような車に知識のない人間がみても、ひとつひとつの構造物がどのような役割であるのかが想像できる。
フェンダーの滑り止めの縞鋼板、ポンプの補強台、ハンドル軸の支え、エンジン架の増設部分と固定ボルト、回転部の防護壁、赤い錆び止め塗料だけの塗装。
油染みも枯れてきているので、放置されてから半年はたっているだろうか。ちびて溝の消えかかったタイヤが往時の活躍をしのばせる。

 この細い溝に、あまりに見事に前後の車輪がはまりこんでいるが、よほど不注意な運転だったのだろう。
バックしながら道幅ぎりぎりまで寄せようとして、まず右後輪だけが溝の上になったが、他の三輪でもちこたえていた。しかし右前輪が溝に
きたときにスッポリと脱輪した、というところだろうか。事故現場というのは、結果だけみるとどうなってこうなったのか皆目わからないことが多いが。

 こうなってしまうと、車載ジャッキ一個ではなかなか持ち上げられない。溝の壁にタイヤが引っかかるからだ。路面はアスファルトなので、私道では
なかろう。狭い道とはいえ、こんなところにいつまでも捨てられてはいないだろうから、ユニックで吊るか、畑側からフォークリフトで持ち上げるか。
結局はなにがしかの機械でしかるべき処理をさせられているだろうが、その後を私は見ていない。
まさか二十年以上もかけて、この場所で朽ちてはいないだろうが……。






                   
                                                                        ■379.

廃棄車両                                                       

…………………bU

 

   
               
                                                     ■377./910402/三原町八木入田

 

[前頁へ△]

[目次へ]

[次頁へ▽]