ー続々・法的農民車考ー

さて、興味深い発見が続いている「法的農民車考」シリーズですが、
またまたおたけさんから写真つきメールが届きました。
なんと鋤を動かす延長棒操作レバーの基部が
残っている農民車をみつけたというのです。
かなり驚かされる報告でしたが、そのあとさらに驚くことが判明しました。
それでは、まずはおたけさんのメールから紹介いたします。










以前 AT-85の鋤がついた農耕用農民車のことを書いたのですが、偶然、
鋤と延長棒・操作レバーを取り払い、バキュームタンクを搭載した
AT-85型農民車を見つけました。
もっと写真を撮りたかったのですが、たった1枚しか取る間がなく、すぐに
スクラップへとに運ばれていきました。

半月状の弧を描いた部品が鋤を持ち上げるレバー(レバーは欠品)を
調節・固定する部分で、そのための穴が二つあります。
レバーは、座席の下にある輪と、半月状部品の下にある四つの穴に取り付けられた
水平方向のパイプを支点として可動します。


おたけさんへのメール

mailto:hfc02427@nifty.com






おたけさんのたいへん貴重な写真は、「続・法的農民車考」で近野が想像した
ギヤのような調節装置とはかなり異なって、ほぼ手作りで
厚めの鉄片を円弧に曲げ、それとL字アングル、帯鉄を組み合わせたものを
フェンダーと「鳥居さん」に渡した凝った造りでした。
鋤の高さを調節するのは単なる穴で、しかも上下の二個だけという単純さです。
その下の四つの穴には、水平軸を支持するための
取り付け用部品があったと思われます。
もう一方の座席下の部品もL字アングルと分厚いパイプを
頑丈に溶接した単純なものです。
荷台の後ろのほうには登録銘板と思われる二枚の黒い板も残っており、
AT-85、もしくは80とみて間違いないでしょう。
おたけさん、毎度のことながらありがとうございます。

この調節装置をどこかで見たような気がした近野は、自分の持っている
fwf型の写真をすべて確認しましたが、どうも見つけられず、もしやと
思って写真と同じバキューム車のほうも見てみましたが、やはりありませんでした。
そこで今度はバキューム車と同じように荷台に機械を追加した
堆肥散布車を見てみると…ありました。
しかもなんとそれは、すでにHPに更新したものだったのです。


 ■184.


それは堆肥散布車のNo.4に登場した奇妙なエンジンの変な農民車でした。
東大モトクロス同好会…いやいや、灯台もと暗しとはこのことです。
おたけさんの写真に写っている座席の手摺の造作、フェンダーに貼られた
滑り止めの鉄板などの様式が同じで、よく見ていただくと問題の
レバー調節部がちゃんと写ってます。もう一方の水平軸を固定する
パイプのほうはなくなっているようですが、
荷台のフレームには登録銘板もあるのです。

近野はこの荷台がおそろしく短いのを見て、
「最初から堆肥運搬車として設計された」と考えたのですが、
実際は高島式農民車を堆肥運搬車に改造した、というのが
この車の正しい履歴のようです。


自分がHPに解説しておきながら、その勘違いにながいこと
気がつかずにいたという間抜けな状態を直視させてくれたおたけさん、
あらためましてお礼を申し上げます。


それにしても、この写真184.を見つけてからも、なんだか腑に落ちない
ところがありました。自分がレバー基部をどこかで見たような気がしたのは、
この堆肥散布車ではなかったのではないか、ということです。
いままで写真184.にレバー基部のような部品がついているのを
見落としていたのに、「見たことがある」気がするはずも
ありません。
といっても、もうエンジン搭載位置が前にあるもの
は見尽くしてしまいました。
いくらなんでも、エンジン搭載位置変更のような大改造をすることは
考えられないので、いったい何で見たのか考えているうちに、
盲点に思い当たりました。
廃棄車両の写真です。




       ■248.fwf4×2(廃/960825/三原町掃守



これは別に、フォークリフトの写真を撮りたかったわけではなく、
二台重ねられて捨て置かれているわびしい姿を撮ったのですが、
どうもいい撮影位置の選択ができなかったのです。
まあ廃車だし、平凡な車体だったのでこれでもいいか、と思ったのですが、
よくみると上のfwf4×2はずいぶん状態がいいので、
もう一枚、反対側から撮ってみることにしました。
それが幸運だったのです。



 ■249.



問題のレバー調節装置が写ってました。
この妙な部品を近野は、フェンダーの補強に適当な流用品をくっつけたのだろう、くらいにしか
考えてなかったのですが、おおきな認識不足でした。

座席の手摺とフェンダーの滑り止め、それに登録銘板はおたけさんのメール写真、
ならびに写真184.と同様なつくりで、登録申請した様式を厳密に
踏襲した様子がうかがえます。他の農民車は使用者の便宜を考えて
同じものは二台とないのがほとんどですが、
やはり国の認可を受けた以上は、基本的に同じものが造られつづけたのでしょう。
ちなみに、写真248.にも写っていますが、荷台の後端は
前項「続・法的農民車考」の写真243.とおなじく延長されています。これは
ちょっと違法行為ですかね。その余波で、後端についているはずの
鋤の取り付け具はないようです。
「鳥居さん」の上の角は、243.ではまっすぐ、249.は内側に曲がってます。
この程度は基本設計に影響がない改良でしょうね。

余談になりますが、このフェンダーは滑り止めがついている以上、
何度も人が乗ったと思いますが、すこしも垂れていません。
操作レバーの土台にあたる部分でもありますし、かなり力の
かかる部位でしょうが、よほど頑丈に造られているのでしょう。

それにしてもかなり状態のいい農民車なので、捨てられたのが不思議ですが、
いったいどんな事情があったのでしょう。
腕木式の方向指示器なんて、まだレバー部分から作動しそうです。
鉄部の塗装も、最低一回は塗り替えられているようですし、エンジンの
マフラーなんかも錆はほとんど見受けられません。
アクセル等、補器類の線もきちんとねじって束ねてあるし、使用者は
よほど物持ちのよいひとだったのでしょう。あるいはその人が
亡くなって、後継者がいなくて手放したのかな…などと芝居めいた
ことも想像してしまいます。
それより、実はここはとある農民車製作工場の敷地なので、
中古車として売るために業者が再生したけど売れなかった、という
業務的な末路が実態なのかもしれません。
近野に十分な金と土地があれば、もらっとくんですけどねえ…。





ところで、高島式農民車がいつ登録認可されたのか、ということについて
神戸の陸運局(現在は神戸陸運管理部)にメールで問い合わせてみました。
一月の頭に送ったんですが、一週間後に
「資料がないので国土交通省に問い合わせてみます」と返事が来ました。
そのまま音沙汰がなく、これは忘れられたかとあきらめてましたが、
二ヶ月あまり経過して返事をいただきました。
変な質問でだいぶ迷惑をかけてしまったんではないか、と
恐縮しております。


大変遅くなりましたがお問い合わせの件についてお答えします。
昭和46年までさかのぼり認定番号から検索しましたが、関係書類は保存されていなかったため、
満足いただける内容ではありませんが、ご了承願います。

Q1  いつ頃登録されたのか?

A1  登録が形式の届出の意味ならば、不明
(昭和46年以前と思われる)
(個々の車両の届出ならば、届出市町村に確認してください)

Q2  誰の名義で登録されたのか?

A2   登録が型式の届出の意味ならば、株式会社高島鉄工。
(当該車両の届出ならば、届出市町村に確認してください)

Q3  その仕様・諸元

A3  国土交通本省に確認をとったが、書類保存期間を過ぎているためありません。

Q4  及びその図面

A4  国土交通本省に確認をとったが、書類保存期間を過ぎているためありません。

Q5  ナンバープレートの様式

A5  地方税法第447条による当該市町村条例で定める申告にあたるので、
いわゆるナンバープレート(原動機付き自転車と小型特殊自動車は課税標)は、
各市町村ごとに異なる。

神戸運輸監理部 総務課



ようするに、国土交通省の書類保存期間を過ぎているので該当する関係書類はない、という
残念な結果でした。
他の疑問も、これまで判明した以上のことは不明なままです。
国の機関でこれですから、地方自治体に残っているというのは考えにくいことで、
役所にたずねる線で高島農民車をたどることは
困難になってきました。
それでも、とりあえず登録は昭和46年以前であるということは確認できました。
おたけさんは高島式のパンフレットに「八木の並木松が背景に写っていた」と
証言してらっしゃいますが、時期的に一致するものです。
今後は、また新たな証言を気長に待つほかないようです。
なかなか結論というのは出ませんが、反面謎解きの楽しみが長く続いてくれたようで、
なんだかほっとした気分でもありますね。




[法的農民車考へ]

[続・法的農民車考へ]

[目次へ]