▼派生型(特殊車両):cwf4×4(ユ

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■282.cwf4×4(ユ 901103.五色町鳥飼上
 
 

 

もう十五年も前になってしまったのか、農民車の写真を撮り始めたころの写真だ。
田舎ではあるが、比較的家並みのある通りに小さな石工の家があって、
その前に妙な構造物のついた農民車が停まっていた。


 ■283.


大雑把にいって、クレーン車というのは荷台のない車体にクレーンを取り付けた
ものだとおもうが、荷台のある車にクレーンを取り付けるとユニックという分類になる。
そういう観点で、この派生車両の項の最初に取り上げたのはクレーンという
解釈にしたのだが、↓
No.1
今回のものはユニックということになる。
クレーンとともにユニックにはつきもののアウトリガーがないのが
只者ではない雰囲気をを漂わせている。


 ■284.


普通に見るユニック車は、運転席のあるキャビンのすぐ後ろにクレーン、あるいは
ブームがあって、それをもって荷物を荷台に揚げたり降ろしたりする。
この農民車は、運転席と助手席の間にクレーン(?)が突っ立っているという、
思い切ったというか無謀というか、ものすごい発想である。
下の写真285.を見ていただくとおわかりのように、
この柱に回転をあたえるための伝達チェーンが、いろんなレバーのある
ややこしい所にむきだしでつけられている。
指を挟んだりしないほうが不思議だと思うが、
造るときは造りやすさ優先で、そういうことは気に留めなかったのだろうか。


 ■285.


石工の古い作業場がいい雰囲気を出しているが、
はたしてこのユニック農民車はこの石工のものなのか、近所には人が一人もいなかったので
確認はできなかった。
しかしわざわざこういう機構を取り付ける農民車は他に例がないので、
まず石工専用であるとみて間違いないだろう。
重い石材を積むにはやはり機械が重要だが、
こういう農業を兼ねて細々とやっているような田舎の石材屋では、
きっと2トンユニックでも手に余るのだろう。
サスペンションが硬く、重いものを載せればよけいに安定する
農民車は、石を載せたまま田舎の細い土道を墓地まで入っていけるに違いない。


 ■286.


ユニック農民車は石工の家でかなり活躍したと思うが、
四年後にたまたま同じユニックに遭遇した。
この時もまだ石屋で働いていたかどうか、やはり周囲に人がいなかったので
わからなかったが、ちょっと細部に変化があったので報告する。



                                    ■287.cwf4×4(ユ 940925 五色町鳥飼


まず、フロントのバンパーがかなり派手にひん曲がっている。
きっと角で後退しようとして、なにかに引っ掛けたんだろう。
この頑丈そうなバンパーを曲げるとは、相当な勢いがついていたはずだ。
それと、ユニックのてっぺんにあったライトがなくなっている。


 ■288.


エンジンフードの上にはナンバープレートが取り付けられていた。
写真は数字を合成してあるが、
ひょっとしたら他の人の手にわたったのかもしれない。
このナンバーがあったので、当初は別の車かと悩んだものだ。
まあ、四年前と同じ網の道具袋がかかっているので、
持ち主は同じだと思うが。


 ■289.


まったくの余談だが、暗い場所で地べたに近寄った状態で
写真を撮ると、上の写真289.のように渦のような不思議な地面が表現できる。
それが面白くて、わざとこんな撮り方をしたのだが、
記録写真としては全然なってないのだ。


 ■290.


四年前、左側の側板のいちばん後ろは、真ん中が欠けていた。
写真286.をあらためて見ていただくとわかるが、荷台にその破片らしきものが
載っているのがわかる。
それがどうやら修理されているのが、写真290.で見て取れる。
反対に右側の欠損は修理できなかったようだ。


 ■291.


こうしてみると、いかにも頑丈で石を運ぶために造られた農民車であることがわかる。


 ■292.


普通、ユニックにはながい横棒がついていて、それを使ってある程度離れた場所のものを
吊り上げたり、荷台の一番後ろへ積んだりするのだが、
この農民車にはその横棒がない。
以下は推測だが、専用の太い鉄パイプを手で取り付けていたのではないかとおもう。
きっと、ユニックのてっぺんにあるピンで固定できる仕組みがあっただろう。
さらにそのパイプの先端には、チェーンブロックを取り付ける金具もあり、
それで石を揚げ降ろししたのではないかと想像する。
地面と荷台までの高さを上下できればいいので、一般のユニックのように
横棒に角度をつける必要はなし、という設計思想だったと考えるが、
本当はどうだったのだろうか。
引き続き推測だが、その横棒に伸縮機能があったとは考えにくい。
その手のケーブルなり油圧ピストンなりがついていた形跡がないからだが、
横方向の回転域だけで多数の石材を荷台に置いていくのは
だいぶ苦しい作業だったのではないか。
仮に、長短の横棒が交換できたとしても、
それを手作業で取り替えるのはかなり面倒で重労働だったと思う。
そして肝心なことは、その横棒が荷重に負けて、次第に曲がって
いったのではなかろうか。
横棒を受ける金具が丸いところからみて、鉄パイプが使われていたのだと
思うが、それだと角材よりも横からの力に弱い。
運ぶことそのものには長けていた農民車だったろうが、
そのユニックの機能には疑問を感じざるを得ないのだ。


 ■293.


油断してると指がちぎれる恐怖のチェーンとギヤ。
この駆動力がエンジンからきているのだとすると、操作はかなり難しかっただろう。
重い荷はゆっくり動かさなくてはならないし、軽い荷は
はやく移動させないと時間をとる。
荷を吊り下げる作業をしてから
いちいち運転席に座り、後ろをみながらアクセル操作しなければならない面倒さ。
専用に独立したモーターがあるのだろうか。


 ■294.


さてここで、ひとつ疑問がでてきた。
以前、農民車考を見ていただいていた淡路在住のおたけさんから、
「農民車史」という大変重要でありがたい文章を寄稿をいただいたのだが、
そのなかで、ホンダ製エンジンは回転方向が逆なので
農民車には使用されなかった、という趣旨の
解説があった。
だがしかし、偶然アップで撮った写真294.で、運転席後ろの鉤にひっかかっている
キーはホンダのものなのだ。
ひょっとして、このエンジンはホンダ製なのだろうか。


 ■295.


私には一目でエンジンを判別するような眼力はないが、
少なくともハンドルやシフトレバーにはホンダのニオイがある。
エンジンと操作系は別物なのだろうか。
たとえエンジンの回転方向が他社とは逆だとしても、
ギヤボックスや足回りをすべてホンダにしてしまえば
エンジンもホンダにできるのではないだろうか。
それとも、写真294.のキーは全然別の軽トラックのものなのだろうか。
わざわざキーを抜いて、運転席のそばに掛けとくってのもへんな話だし…。

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