■404.faf4×2/910416/三原町榎列幡多
いつのまにか、この写真撮影時から四半世紀も過ぎてしまった。
背景には駄菓子を売っているらしき小さな店と自転車の小学生、
ネッスルの牛乳集荷所とおぼしき緑色の板壁が見える。
なんとなく昭和感が滲み出る光景だが、平成時代にははいっている。
■405.
なんだか空が真っ黄色なので不気味だが、これはフィルムが退色しているせいだろう。
できるだけ補正してみたが、元の色がどうなのか記憶のカケラもないので
空以外が自然に見えるようにした。夕暮れだったのは確かだが…。
FAF、つまり農業用汎用空冷エンジンを前部に積んだ形式だが、
「鳥居さん」の角に電気式の指示器を備えている点が、当時としては
珍しかったと思う。タイヤは軽四輪のもので、やや幅広に感じる。
荷台のアオリは三方開きでラワンのような木目のはっきりしない材を使い、
上辺と下辺をアングル材、その間を平鉄でボルト留めしている。
荷台の後部両角には、まるい反射材のついた鉄板がついている。
これらは上原鈑金がのちに造る、
「ウエハラ・スーパーダンプリフト」という青い農民車の特徴を備える。
http://tkn203.webcrow.jp/cwf44.htm
この農民車は、その源流か、すぐ上流なのかもしれない。
…と考えるのは想像力の無駄遣いかな。
不鮮明なのでよくわからないが、荷台下にはバラストとおぼしき
何かがある。
■406.
横を見ると、車台はまさに軽四輪のものを流用しているようで、後輪部分で
上方に曲がっているのが見える。ホイールカバーにはホンダ車の面影が。
アオリの平鉄が等間隔ではないが、もしかすると下げおろした際に
平鉄がホイールカバーに当たって傷つけるのを避けるためかもしれない。
…いや、タイヤとのクリアランスを取るために荷台の桁を一部
切り取ったため、アオリの蝶番を取り付ける場所が
なかったのだろう。
こうした加工はほかでも見られるが、この十センチ程度、荷台を低くするために
構造材を削って強度をおとす必要があるのか、見る度に疑問がわく。
■407.
この運転席をみると、寸詰まりの狭い前部、複雑に下がっているエンジン架、
前輪泥除けの造作や、全幅にわたる一枚ものの座席などには
http://tkn203.webcrow.jp/fam42.htm
に記載したミッドシップ農民車の趣もある。
製作者がなにがしかの影響を受けたのか、あるいは発注者の嗜好なのか。
どちらなのだろう。
■408.
手前の三脚式クレーンは、バキューム用タンクを下ろしたときに使ったようだ。
他の車体から外して、この農民車に載せて使うのだろうか。
黄金色の夕景には哀愁が漂っている。
まるでこの農民車のたそがれを思わせるようだ…。
……とここまで書いてから、以前のページとリンクでつなぐ作業を
していて驚いたことがあった。
このページの農民車は、六年あとに撮影し、過去にfaf4×2形式で紹介したNo6.と
同じ農民車だったのだ!
http://tkn203.webcrow.jp/faf426.htm
No6.のfaf4×2は正面からの一枚のみで、しかもこのページとおなじく
ビニールカバーで一部分が見えない。しかし、車体前部の運転席側にあるガードの
ようなものがまったく同じ。上述の鳥居さんにある指示器は、助手席側のレンズが
割れている。六年後の姿はよほどみすぼらしかったのか、
あるいは近野の心境がやさぐれていたのか、
その文章は全体的に否定的な書きぶりである。
この間に撮影した膨大な農民車、撮るだけ撮ってきちんと写真を整理しないずぼらな性格、
その物量に対応できないとぼけた記憶力が今回の失態の要因。
六年後に「なんとなく見たことがあるなあ」と感じていたのは、
けっして言い訳ではないが、いまさらなにを、である。
黙ってこんなページは削除して、ほかの農民車を紹介してしまえば
余計な恥はかかずにすむが、
自分でもおもしろかったので掲載することにした。
まあ、そんなこともあるさ。
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